死は見えない
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人間は人の死や自分の死を予期できません。これには明確な理由があるからです。人間に死が見えると、表情が隠せない人間は必ず「あんた、死相が見える」と冷やかす人種がいるからです。
餓鬼のような醜態が人間の本性なので、それに逆らうことは無理です。
そのためその不条理が生じないように、神は人間に死のタイミングを隠した人生を託します。
社会主義とは付き合いじゃなく互いのストレスをなくす社会になり、人間が構想する組織とはレベルが違います。人間が創造する神の社会も人間の世界です。
自分が嫌なことを人にしなければ自分も同じ目に合いません。自分の断捨離をきちんと見ることを考えれば自然と周りとのストレスはなくなります。
それでもストレスがなくならないという人は断捨離が足りないということです。
不条理だと感じる前に、自分の欲を抑制する断捨離を志さないと将来は見えません。
人が集うと甘えになり、組織を生み、そして無理な人付き合いが生じます。それこそ無駄の一理です。
強い社会は自由でつながっています。自分が自由だから、他人の自由に深入りせずに付き合えるので自然と良い付き合いが生まれます。そのためギブ&テイクの社会が生まれ、経済効果に繋がります。
例えば、レベルAクラスの人間が集うと自然と力が強くなるのもこれにあります。レベルAは知識じゃなく、人間として自分を尊重することでより強くなります。
自分を尊重するということは他人にストレスを与えることをしないからです。自分の鍛錬しか考えない主義になるので、他人は無関係として考えるためです。その次元が集うと余計な話し合いをせずとも連携が可能な次元になるのがレベルAだといえます。
連携を取ろうとせずとも知恵がありますので、勝手に良い判断ができ連携が勝手に効きます。
しかし実際には日本人のほとんどは、自分が損をしたらその損を他人に預けるという忖度を行います。
そこには自己鍛錬はありません。強い人間は自分が損をしても我慢しかしません。
弱い犬ほど良く吠えると言葉がありますが、そのとおりで、うるさい人間は弱いです。弱いから誇張しているだけです。誇張しないと主張ができないほど弱いからその行動へ出ます。
強い人間はそういう人種を無視します。相手にすると時間がもったいなく、無駄が生まれるからです。強い人間というのはとにかく自分の時間を大切にするので、無駄が生まれることを避けます。
そのためいちいち相手にしないというわけです。
同じ穴のムジナに任せるのが一番いいです。それが賢い選択です。
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